トゥキディディスの罠

 

 この前の晴天を衝けの最後のシーンが印象に残っている。家臣たちが一様に薩摩を討つべしと述べている。ああ、こういう人たちは負けになったら一目散に逃げていきそうだなと思った。(もちろん、そんなことはない、あるいはなかったのかもしれないが、そうでないならそうでないで、戦争終結の時の宮城事件のように大変である。)

 慶喜は逃げ腰と揶揄されれたりするけれど、(もちろん、それもまたもしかしたら間違っていないのかもしれないが)やはりすごいなと思う。「すごい」ってのは月並みな表現だけれども…。

 

 高杉晋作も深く考えたうえでの撤退は臆病ではないみたいなことを言っていた気がする。今まで覇権を握っていた勢力に対して新興勢力が覇権争いに乗り出すことをトゥキディディスの罠というらしい。

 

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 世界情勢レベルで、大きな流れの中でもがいている人間には何ができるのだろうか。ギリシャは荒廃した。イギリスは覇権を失い、アメリカが覇権を握ったけれど、うまく覇権を店じまいすることが、まあできたらしい。戦前の日本はうまく自分たちを荒れ狂う国際情勢の中でコントロールすることができなかった。

 

 国際政治の見方にも、個人や組織、文化などよりも、国際政治のシステムに特に注視して物事を見ていく学派があるらしい。

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 近衛内閣は国民党は対手せず、である。あの時代、外務省も、陸軍も、海軍もそれぞれ違う方向を向いていた。さらには同じ外務省、海軍それぞれの中でも厳しい意見の違いがあった。


 米内さんがいうところの、魔性の歴史である。晴天を衝くの草なぎ君演じる慶喜も、同じような心境であったのではなかろうか。

 

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 晴天を衝け23話のがるちゃんの感想を見ていると面白い。その記事によると、磯田道史さんいわく、もう大政奉還のころの徳川慶喜の周りには人が(殺されて)もういなかったらしい。孤独である。この点、戦前昭和の人材が国内の事件でどんどんなくなっていった日本とも重なるかもしれない。世の中の勢いに乗って日中戦争を続けてしまった、近衛内閣、ハルノートを(吉田茂が求めたように)交渉のたたき台にせず開戦してしまった東条内閣、(国にとっても徳川にとっても)無謀な戦いには見切りをつけ政治劇で起死回生を狙った徳川慶喜、どちらが勇気があるのだろうか。魔性の歴史の中で、人には何ができるのだろうか。

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 ニーバーに曰く、変えることができるものとできないものを見極める知恵を与えたまえ、と。市井の市民なりにコロナでいろんな計画が吹き飛んだりした自分は果たして、自分にできることとできないことを見極めて行動できたのだろうか。どうなんだろうなあ。

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 ついでに、磯田道史さんの記事を探して読んでいたら面白いことが載っていて、歴史上価値をもつ書き物は、例えば今日食べ物を食べたなら、なぜその食べ物を食べたのかを書いていたり、大きな出来事が起きたときの様子や感想を書いているものらしい。

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