マズローと戦略の階層とアニマペルソナ(あくまで仮説)

  ものすごく大雑把に考えて、戦略やリアリズムに関する戦略の階層は国家の生存に関わる(「国民」と「国家」について論じたら深みにはまりそう)ものだから、戦略の階層はマズローの五段階説では主に安全の欲求に属するものと考えられる。(もっとも、安全の欲求に携わるのは決して戦略だけでないけど)(それに、戦略の階層を国家の生存だけでなく国家の繁栄を目的とした戦略に適応したり、人生戦略、個人戦略に適応すると話が変わってきそうだけど)

 で、ユング心理学のペルソナは個人にとって、マズローにおける安全の欲求、社会的欲求、承認欲求に相応すると考えられるんじゃないだろうか。

 そのユングのペルソナをもし一個人でなく人の集団である国家に適応してみるなら、それは「外交 」に相応するのではなかろうか。となると、ペルソナは戦略の階層でいえば大戦略に相当する。(もっとも、最初に述べた通り、戦略の階層そのものを何を目的として基礎づけていくかで見え方がかわってくる。生存を目的としてみた場合、生存を目的としたペルソナ、それとは違う場合社会的欲求、承認欲求を目的としたペルソナというように)

 じゃあアニマはどこに相当するか。いちおう、自己実現の欲求、と言いたいのだけれど、自己実現の欲求に重点を置きつつも割とどの欲求にもかかわっていそうな気がする。(ギリシャ神話に豊穣の女神、とかいた気がするし)

 だから、戦略の階層にアニマを当てはめてみるならば、世界観、政策(個人の場合人生観)に重点を置きつつも、全体に広がっていそうに感じる。戦闘の女神アテネとかもいるし。あと、生存を目的に戦略の階層をフレームワークとして用いるときよりも、自己実現とかを目的として用いるときのほうが相性がいい気がする。

 

 アニマを政策に限定せず分散させちゃったのは心と技術とかをしっかり切り分けず、一緒くたにするような日本的感性かもしれないなあ。

 

 あと、戦略の階層って来歴的にはマルクス的に見たら階級論、階級社会を前提としているのか?ともふと思った。 あくまで、来歴的には。

 

 いやむしろアニマとペルソナに引き裂かれつつ何とかしようともがいているところが真に政策的であり、自己実現とかの段階か???