人流

おれが長崎に居た頃に、教師から教えられたことがある。それは「時間さへあらば、市中を散歩して、何事となく見覚えておけ、いつかは必ず用がある。兵学をする人は勿論、政事家にも、これは大切な事だ」と、かう教えられたのだ。

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武術は自分勝手に無目的に稽古しても思うようにレベルアップはしないものです。

 あくまでも人と触れ合う相対稽古の中で相手を読み、それを自分にフィードバックさせることで発達させていくものです。

 この原理が解っていれば、別に武術の稽古でなくとも、町中歩く中で人の流れを観察しているだけでも頭脳は鋭敏に稽古と同じように働くし、人の話や表情の中からも無数のヒントを得られます。

長野峻也ブログ 感覚を研ぐ心法への転換

 

以下、ねじまき鳥クロニクルネタバレ注意

 

何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めたほうがいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。

 

ひとつの場所が良さそうに思えたら、その場所の前に立って、一日に三時間だか四時間だか、何日も何日も何日も何日も、その通りを歩いていく人の顔をただじっと眺めるんだ。何も考えなくていい、何も計算しなくていい、どんな人間が、どんな顔をして、そこを歩いて通り過ぎていくのかを見ていればいいんだよ。まあ最低でも一週間ぐらいはかかるね。そのあいだに三千人か四千人くらいの顔は見なくちゃならんだろう。あるいはもっと長く時間がかかることだってある。でもね、そのうちにふっとわかるんだ。突然霧が晴れたみたいにわかるんだよ。そこがいったいどんな場所かということがね。そしてその場所がいったい何を求めているかということがさ。

 

俺はね、どちらかというと現実的な人間なんだ。この自分のふたつの目で納得するまで見たことしか信用しない。

ねじまき鳥クロニクルねじまき鳥クロニクル

 

  先日読了したねじまき鳥クロニクルのなかで印象に残っていた文と、それと連想して勝海舟の話と長野俊也のブログを思い出したのでメモメモ。結構大事なことを言っている気がする、というかなんか納得する。

 

 このセリフを言っているのは銀座で店を経営している主人公のおじさんなんだけど、前学期に国際マーケティングの授業をちらっとかじってて、そこで理論的なことを少し習った後だったから、短期間でふたつの違う見方に触れた気がして、何だかよかった。

 

 それから、国際政治に現実主義っていうのがあったりして、たぶんそれに対する定義とかもあったりするんだけど、あらためて「現実」ってのは何なんだろうと思ったりもする。

 

 この銀座のおじさんは店を開くときに自分がどうするかを説明していて、奥さんを取り戻したい主人公がそれをそのまま実行するのは普通に考えたらおかしい気もするんだけど、それはそれで主人公(ねじまき鳥さん)らしいというか…  けれど、そうやって普段はその一部となっている、見ずに通り過ぎている人流を外から眺めることで、案外自分を客観的に見る機会になったり、いろんな人の生き方を感じたり、そのことを通して改めて自分を知ったり、視野が広くなったりすることもあるのかしらん。

 

 ねじまき鳥さんに比べたら程度が違うかもしれないけれど、自分も迷走している最中だから、地道なこと、「馬鹿みたいなところ」にしっかり時間をかけていくこと、大切にしていくことも大切かもな。

 

 それにしてもホテルに泊まっているところで、読んでいる辺りがちょうどナツメグのだんなさんの話になった時は怖かった。気になる方は読んでみてください、ねじまき鳥クロニクル

 

(人流という言葉が自然に出てきてしまうところにコロナ禍を感じるけれど、今回の話はコロナとは関係なし、です。)